2021年3月29日(月)
【父親との思い出】 昨日父親が亡くなり どんな思い出が 有るのか整理をしてみた 父親は 小学四年の時に 母親と再婚をして 養子縁組を18歳の時にして 戸籍上父親となり 父親の仕事が 遠洋まぐろ漁船で 働いてたため 長い時は 二年帰らず 船から降りると2ヶ月位滞在 小学四年の半ばから 祖父母の所から 二人の暮らす アパートでの 生活になり 母親は 夜の仕事 父親は海外と 夕方5時からは アパートに一人の生活 まだ弟は 祖父母に 預けられ 弟は三年後 小学四年に上がる時に 転校 その時は3Kの借家に住み 母親も昼間だけのパートで 父親の扶養家族として 調整をした生活 父親が船から降りる時は 仕事をやめるという感じで おやじの 土産としては 甘いチョコレート マンゴージュース 高級ブランデー シャネルの香水 タバコなど ありました スターシップの酒のコレクションや ヘネシー ナポレオンとか 色々な酒を見ました タバコなども マルボロとかの外国の物 降りて 父親は パチンコが好きで たまに 俺も覗きには行きました その頃は 隣で ジュースを飲んでも 怒られず ジュースを貰いに 玉を持って行くと カウンターで冷やされたジュースと交換 サービスで菓子も たまにもらって 昼飯を バスを改造した ラーメン屋さん 車イスの パチンコ店の常連の おじさんが 新しく経営しだして 二回位 食べに連れて行ってもらいました 父親と母親と 三人で 遊園地に 行って 金を忘れ レストランで 父親が金を取りに車で行ったのを 待ってた思い出もあります 高知の三宝山にある 洋風のお城の レストラン その後龍河洞にも そして 父親と二人で 家を買い 暮らして そこからは あまり思い出らしい 思い出はないですね 船から降りて 家族の打ち上げは その頃 おれが ギャル曽根位 食べてるのに 55キロしかない 痩せの大食いのため バイキングに行くと ビックリする料を食べてました 家を買うきっかけは 借家に家賃払うより 家賃の金額で 支払いした方が 言いと感じて 船から降りたら 裏庭に 屋根をつけ 洗濯物を干しやすくしたり 物置を買ったり 屋根には 太陽熱温水器のを付け 夏はお湯を作らなくても 使える便利な物でした 県外に自分が居るから なかなか帰らないのも 多く 父親は 整理整頓好きで 自分の価値で物を捨てるから 俺の大切な物も 引っ越しの時には 無くなってましたね 父親は酒 タバコ 食べ物には 七味やニンニクを やたらに使い食べる 体に悪そうな事は 普通にしてましたね 俺の中で 父親は 母親の恋人的な 感情しかなく おやじ とは呼んでるけど 親子らしい関係では なかった距離でしたね お互いがお互いに 踏み込まない 距離を保つ関係で 船から降りて 焼き肉もバイキングじゃないのも 行くし 高知にある 豚太郎と言うラーメン屋さん が定番でしたね 母親は 色々な仕事してたから 焼き肉屋さんで働いてた時は マスターは韓国人だった イケメンで 彼女も可愛かった思い出が有りますね 焼き肉が めちゃくちゃ美味しく 肉に下味のタレ 焼いて付けるタレが最高で それを覚えてるから 焼肉屋の基準が 高いのかもしれない そんな父親も 昨日亡くなり 俺の中では あまり 何も変わらなくて 感情がなく 母親とも 距離のある生活を 幼少期をむかえた分 親子の絆がなくて 形式上の親子でしかなかったな 俺も 彼女を親と仲良くさせ 俺は見守り 会話はほぼ 歴代彼女でしたね 親と会話をする事が ほぼなかったから 小学四年から ずっと距離の有る関係 だったんだろうな 親に心を開く時がなかったんだろうな 3/29 [更新通知] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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